集められた営業初心者


「吉見さん。半年間だけ力を貸していただけませんか?」

その日、朝から何度もかかってきた電話の主は、先月までの仕事で大変お世話になっていた派遣会社の統括部長です。待望の仕事を受注することができたと喜んでいたことを思い出しました。今回、彼が依頼された業務は大手通信会社が発注した新規開拓営業の仕事。

競合する派遣会社はどれも手強い相手ばかりです。今まで頑張ってきた業績が評価され、ついに大規模なプロジェクトに参加することが確定。何人もいる管理職の中でも、彼のマネージメント能力は群を抜いていることがこれで証明されたようなものです。

── お陰様で営業所を新設することになりました。

嬉しいニュースのはずなのに、なぜか声のトーンが普段よりも沈んでいます。何かあったのだろうか? 私は何も言わずにそのまま次の言葉を待った。

── 実は、営業所を任せられる人材がどうしてもみつかりません。

ああ、それが原因なのか。本当に困った様子が伝わってくる。スタッフは確保したものの、拠点を預かる営業所長がまだ決まっていないらしい。

── 誰かご紹介していただけませんか?

だから私のところに何度も連絡してきたのか。このタイミングで確定していないとなると、かなり苦戦していそうだな。都内ならまだしもその拠点は都心からかなり離れています。それだけでも人材の確保は難しそうです。

安心して新しく開設する営業所を任せられる人材となると中々決まらないというのもわかります。それに腕のいいマネージャー経験者は既に次の職場が確定しているにちがいありません。

── 吉見さん。営業所長をお願いできませんか?

即答で断わりました。それまで営業マンとしての実績ならそこそこ出しています。しかし、営業所長となると話は別。これまでとは業務内容が全く異なります。私は管理職の経験が極端に少ない。人に誇れるほどの実績がありません。

それと、もうひとつ。どうしても断わりたい理由がありました。それは新設する拠点の場所です。立地が悪い。自宅からの通勤時間を考えると遠すぎます。往復で4時間を超えてしまう。はっきり言って時間のムダ。

── 立ち上げの三ヶ月だけでもいいからお願いします! 助けてください!

最後は泣きつかれてしまった。来週開設するのに、その拠点だけがまだ決まっていない。おそらく胃に穴が開くほどの切羽詰った思いをしているはずです。それまで派遣会社の統括部長には何度もお世話になっているだけに、ついに私も断わりきれなくなってしまったのです。

私が預かるスタッフは一体、どんな人たちなのだろうか? 気になります。集められたのは営業経験が殆どない二十代の若い営業マン。もうすぐ50歳に手が届きそうな私からみれば、まるで我が子のように若い新人が中心のチームです。だからこそ実戦経験が長く、ある程度年配で、現場で通用する実戦的なノウハウを多少なりとも持っていて、それなりの営業実績のある管理者を投入しておきたかったのでしょう。

そんな理由でポツンと放り込まれたオジサン営業マン。それが私、吉見範一です。営業の素人軍団の指導を任された不慣れな私に、はたして営業所長が勤まるのでしょうか?

 

大手一流企業の営業研修

 

派遣先の大手企業では二日間も日程を取って集中的な研修予定を組んでいます。私が一番興味を持ったのがこの研修。実は、この仕事を受けてみようと思ったのも、この研修があったからというのがホンネです。

それまで、私は大手企業の営業研修など受けたことがありません。一般家庭に飛び込む訪問販売、問屋を対象としたルート営業、小売店開拓の飛込み営業、法人営業・・・。色々と体験しています。そしてどのタイプの営業にも共通していることがあります。それが営業の覚え方です。

全て先輩の後姿を見て覚えてきました。私は「これが営業の基本だ!」というものを知りません。つまり営業のイロハを知らないのです。営業を覚えるために必死になってやってきたことは、ひたすら先輩を真似ることだけです。

私が覚えている営業ノウハウは理論がありません。それこそ手当たり次第に試してみたものばかりです。営業理論を知らない私には他に選択肢がなかったのです。とりあえず現場で試してみる。基礎的な知識がないのでほとんど失敗します。くよくよ考えても仕方がないので少しだけ変えてみる。そしてまた試す。

どんなにちっぽけなテクニックでも身に付けるためには営業の現場で実際に試してみるしかありません。正直に言うと失敗の方が圧倒的に多かった。それこそ試行錯誤の連続です。でもそうやっているうちに、偶然ですがたまに使えるテクニックに運良く出会えることがあります。その時は「ラッキー!」と大声で叫びたくなります。

長年営業をやっていますが論理的に身に付けたノウハウはひとつもありません。トークも同様です。何もかもそうやって身に付けてきたノウハウばかりです。だからこそ知りたかった。超一流企業の営業研修とは一体どんな内容なのか。営業理論とはどのようなものなのか。興味津々!

生まれて初めて本格的な営業研修に参加できるぞ。そう思っただけでワクワクしてきます。今まで覚えてきたものが、やっとここにきて系列立てて、頭の中が整理されるかもしれない。凄いチャンスが巡ってきた! 楽しみです!

一緒に受講する若い人たちよりも、所長に就任する私の方が何倍も喜んでいたのかもしれません。

前日から興奮していたせいでしょうか。初日の朝は、いつもよりも早く目が覚めてしまいました。研修の開始時間が待ち遠しくてたまらない。どんな先生が教壇に立つのだろう? どんな資料を配布してくれるのだろう? なんだか初めての学校に通う新入生のような気分です。

 

いよいよ研修スタート!

 

さすが大企業ですね。参加者全員に配布された資料は全部で四冊。各自の前にドーンと置かれたA4サイズの資料はどれもが分厚い。「そうか、実戦的な営業ノウハウを資料に落とし込むと、こんなにもの凄い量になるのか!」驚きでした。読み応えがありそうです。期待はますますふくらみます。

研修は定時ピッタリにスタート。分厚い資料の最初のページから読み上げていきます。それにしても営業マニュアルの文章って、表現が硬いですね。文字は読めます。単語の意味も理解できます。ところが肝心の講義内容がちっとも頭に入ってきません。いくら読んでも具体的な料理の味が何も伝わってこない殺風景なメニューを眺めているような気分です。

わかりにくい。どうやってこの理論を活用したらいいのだろう? 営業の現場で使っているイメージが浮かんできません。それでも淡々と講義は進みます。次々とページをめくり、資料の順番通りに展開されていく。

だが、どうも様子がおかしい。それにしてもなんて単調な研修なんだ。一体これは誰のための営業研修なんだ? 期待していた内容とはかなり違う。あまりにも実践とかけ離れている。

でも、まだ始まったばかりだし最初はこんなものなのかもしれません。まさか最後までこんな調子で一方通行の研修を二日間も続けるつもりじゃないだろうな? 本題に入ればもっと詳しい説明が聞けるだろう。それにしても表面的すぎる内容だな。

どうもイヤな予感がするなぁ。ちょっと待てよ。もしかして、これは……。 期待を裏切られたかもしれないぞ。このまま、この資料を延々と読み続けるだけなのだろうか? まさか?

 

驚きの研修内容

 

プロジェクターに映し出された文字は資料と同じ。これでは自宅で研修ビデオを見ているのと、なんら変わりません。演壇の講演者は一体なんのためにいるんだ? 台本を読むだけなら、プロのアナウンサーの方が聞き取りやすい。

研修内容は、すでに私の予想をはるかに超えています。

非常につまらない。

聴衆に興味を持たせながら伝えようなんて気は更々ないようです。会話に引き込む営業トークとは全く正反対の伝え方。

商品説明はともかく、営業ノウハウは納得ができません。ハッキリ言って時間のムダ。

この講演者は実際に営業を体験したことがあるのだろうか?

 

アプローチトーク

 

最初にアプローチで切り出すサンプルトークを聞いた瞬間、唖然!

たとえば飛び込み営業で挨拶をした直後の対応にしても、あまりにも不自然すぎる。

「本日は新しい商品のご紹介にお伺いしました」

と挨拶をしなさい。

・・・そこまではわかります。

どうしても納得出来ないのはその次。

研修で指導されたトークは、いきなりこの質問です。

「今使っているのはなんですか?」

いくら何でも、これでは通用しないだろう?

言い回しや言葉の使い方の問題ではありません。トークの内容です。

こんな営業トークを本気で推奨しているのか?

「君に答える必要はない! パンフレットを置いて帰ってくれ」

と言われるのは目に見えています。

この営業研修は机上で考えたとしか思えないような不自然なトークが延々と紹介され続けるのです。そのまま外に連れ出し、近所の会社に2~3件でもいい、立て続けに飛び込み営業をさせてみたい衝動を押さえるのに必死です。

これが大手一流企業で行なわれている「企業内研修」の実態なのでしょうか?

いい体験をさせていただいたと感謝しています。この体験はその後の私の活動にとって、非常にいい勉強になっています。

 

工夫のしようがない

 

営業研修とは名ばかりで、実質は商品説明会です。営業方法に関しては実行可能な実践的営業指導はありません。書いてあるマニュアルを読み上げるだけ。

幸い私にはこれまでの営業経験があるので自分なりの工夫をすることも可能です。しかし、問題は若いスタッフです。

営業経験が浅い彼らは工夫のしようがありません。この研修で習ったトークをそっくりそのまま真似することが彼らに出来る唯一の方法です。

 一緒に働く仲間としてもかなり心配。

これでは通用しないだろうという不安を消すことができません。まさか、会社が指導した営業トークや資料を廃棄させて、私が考案した方法を勝手に教えるわけにもいきません。

ちょっと乱暴な言い回しですが……。

この営業研修によって

  • 商品に関する知識は教えた。
  • だから後は勝手に売って来い!

というスタンスである、という印象を強く植え付けられました。もちろん、全ての大手企業がそうだとは言いません。(※私が体験した超大手企業の7つの営業部門に限定)

しかし、私が派遣会社を通して潜入し、実際に体験した大手企業の営業研修は、どれも非常に類似しています。

 

派遣スタッフ

 

派遣会社が紹介する仕事の多くは就任期間が短い。一日でも早く仕事を覚えようと真剣です。登録している若いスタッフはみんなとても真面目で、会社から渡された分厚い研修資料を夢中で勉強しています。

やっと覚えたころには、また次の仕事を探さないとなりません。 だから契約期間はなんとしてでも結果を出しておきたい。クビになったら、またフリーターの生活が待っています。あの生活に戻りたくない。 不安定な生活から抜け出したいんです。

派遣の仕事は、給料が安い。 しかも仕事は不安定。

将来の保証があるわけでもありません。それでも、少しでも長く勤めたい。 彼らの必死な表情を見ているだけでそんな気持ちが伝わってきます。

彼らは若い。 経験も浅い。

まだまだ自分を高く売り込むキャリアがありません。それでも、できることなら安定した企業の正社員になりたい。 腰を落ち着けてじっくりと仕事をしてみたいと思うようになります。彼らは誰よりも不安を知っています。だからこそ、そんな夢を持っている。 そして、その夢が簡単には叶わないことも知っています。

 

営業開始

 

営業のエリアが決められ、翌日から営業開始。

商品説明だけ刷り込まれただけの即席営業マンですが、いきなり現場に投入されます。

新人はすっかり緊張してしまって声も出ません。どうやって最初のトークを切り出したらいいのか?ノウハウは一切なし!それらは全てスタッフ任せ。 あとは「結果を出せ!」だけになります。

最も不自然なのは毎朝の朝礼。まだ見込み客さえ発見できていないのに、なぜか目標件数を言わされる。自信がないので控えめな目標数値を挙げると

「そんな低い目標数でどうする。それじゃ目標にならないだろう? もっとシッカリした数字を出せ」

と言われる。仕方が無いので、うんと背伸びをしたあての無い数字を言わされることになります。そして結果が出せないと

「自分で決めた目標に、なぜ到達しないんだ!」

と追究される。

私にはイジメと指導の境目が、いまだによくわかりません。数字があがらないと当人が「辞める」と言うまで、こうやって上司から責められる日々が続きます。ここは、営業を覚える場所ではありません。

 

何人残る?

 

派遣会社に仕事を依頼している大手企業は、腕のいい営業マンが集められるものと思っています。派遣を依頼した時点で、営業経験者を採用したいと伝えてあるからです。当然ですが、発注した起業は「ある程度のレベル以上の営業マン」が集まることを期待しています。

企業ですから採算がとれなければ意味がありません。給料を払うのは「短期間で結果の出せる営業マン」だけに限定したい。

派遣会社は、どんなことがあっても依頼された人数だけは集めたい。もちろん結果の出せる営業マンであることが望ましい。でも、それ以上に頭数を揃えたい。募集しても集まらないことの方が問題です。

営業経験はあってもなくてもかまわない。シロウトでも売るヤツは売る。商品説明だけ教えておけば、なんとかするヤツは、なんとかする。やる気があれば勝手に覚えて、ドンドン売るだろう。そんな推測のもと、人数をかき集める。10人雇って、2~3人残ればいい。7~8名はクビになるのも仕方がない。後はドンドン補充すればいい。それが基本的な考え方だと私は理解しています。

 

フリーターに逆戻り

 

毎月のように繰り返される解雇通達。

「お世話になりました」

聞き取れないほど小さな声。こみ上げてくる気持ちを抑えるだけで精一杯なのだろう。それでも何か言おうとしている。だがそれ以上は言葉にならない。黙ってうつむいたまま。顔もあげず懸命にあふれそうになる涙をこらえている。

これで何人目だろう。

クビを宣告されると、すっかり自信を失ってしまう。ガックリと肩を落として去っていく仲間の後ろ姿を見るのは本当に辛い。ここを辞めると、彼らはまたフリーターに戻ってしまう。

 

誰も教えない

 

これじゃ、まるで部品じゃないか!それでも彼らは必死になって営業を覚えようとしている。それを満足な指導も出来ないくせに、ただ結果だけを求め、数字ばかり追究する。そればかりか毎日のように

「能力がない、才能がない、センスがない」

だのと、粗野な言葉を浴びせ、若い才能を次々と潰していく。

何が新人研修だ。教えてくれたのは商品説明だけじゃないか!最初から育てる気なんてあるものか!

現場で使える営業ノウハウを一回でも指導したことがあるのか?

若くて、真面目で、やる気があれば絶対に大丈夫。そうやって、その場を取り繕うために集めているだけの派遣会社。これは新しい雇用形態なんかではありません。代替部品そのものです。私がこの目で見てきたものは、将来性のある若者をまるで消耗品のように扱うシステムです。

 

そんなに簡単に?

 

たかだか数ヶ月成績が出ないからって、そんなに簡単にクビにしていいのか!その前に売れるノウハウをひとつでもいいから教えてやれ!どんな営業だって、輝き出すまでには時間がかかる。まして若い才能はしっかりと育てていくものだ。これが大企業のやり方なのか?

日本の将来に夢を与えるのがこの会社の理念じゃなかったのか?

いい加減にしろ!

指先の色が白くなるほどギュッと強く握り締めたこぶしを小刻みに震わせ、今にも大声で叫びそうになる気持ちを私はじっとこらえる。

そこにあったのは、若い才能を潰し続ける巨大な組織でした。

 

決断

 

私を突然襲ってきたのは、押さえ切れないほどの強い怒り。

そしてその怒りよりももっと強かったのが悔しさ。

何よりも悔しかったのは、次々と潰されてしまう仲間を救うことができなかったこと。

私は決めた。

会社が指導した営業ノウハウとはまるで違うけれど、私のやり方をそっくりそのまま教えてやる!

それでクビになっても構うものか!

私が教えてやる!

それが、私が企業コンサルタントへの道に踏み出した最初の一歩です。

 

企業コンサルタントとして

 

今でもあの時の気持ちは全く変わりません。どうやればいいのか営業の現場で困っている若い営業マンたち。私は彼らを助ける仕事がしたい。私のノウハウが少しでも役に立つなら、彼らに全てを伝えたい。知りたいことは何でも聞いて欲しい。知っていることは全て公開していきます。だからどんどん利用して欲しい。

将来、独立・起業したらその日から営業が必要です。 これからの日本を作るのは可能性のある若いあなたたちです。

次々と潰されていく若い人たちを、私はもうこれ以上見たくないんです!